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本流逆流(9月5日付コラムより)
2018/09/06

 3・11東日本大震災の大津波を受け、街が破壊されてから丸7年半が経過しようとしている三陸沿岸部。時の移ろいとともに新しい街並みに生まれ変わろうとしているが、本当のところはどうなのか――。
 3年前私は、大阪交運共闘のなかまとともに、仙台市、女川町、南三陸町、気仙沼市、陸前高田市などの交通事情調査に赴いたが、当時は震災の傷跡があっちこっちに残っていて、大津波の恐ろしさを肌で感じたのを今も忘れられない。
 8月27〜29日にかけて、再度大阪交運共闘のなかまとともに同地を訪れたのだが、思ったほど整備が進んでおらず、盛り土と堤防でまったく海が見えない街になっていたのを見て、堤防より高台に向けた避難道の整備の方が速く、安く済むのにと率直に感じた。
 津波からの「減災」をキーワードに、圧迫感を抑えるために台形状に建造されている堤防とのことだが、その大きさには圧倒される。海とともに、海の恩恵を受けてくらしてきた住民にとって、この景色がどのように映っているのか。
 今回の調査ではっきりしたことは、津波で一人の犠牲も出したくないという市・町長の決意を感じた一方、街づくりはまだまだ道半ば。