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〈原水爆禁止2022年世界大会‐広島〉大阪地連代表団の手記
2022/09/05
日本政府は核兵器禁止 条約に背を向けるな!!
8月4〜6日に開かれた2022年原水爆禁止世界大会‐広島に参加した自交総連大阪地連代表団は、開会・閉会総会で平和運動の熱気にふれるとともに「動く分科会 平和公園碑めぐり」や「ウクライナ問題を考える分科会」に参加し、原爆や戦争被害の実相を学習しました。代表団各氏の手記を紹介します。
「核戦争」に勝者はいない
三野 芳裕氏
(関空リムジン労組)
原水爆禁止2022年世界大会-広島で開催された3日間の国際会議と、動く分科会の一つ「平和公園碑めぐり」に参加しました。
大会は国内、海外の平和運動代表が会場とオンラインで参加して講演、最終日に会場からの質疑に対する応答という内容でした。
多様な立場や視点からのメッセージに共通するのは、核兵器は絶対になくさないといけないということです。若い世代からの発言も多く、平和の願いを引き継ぐことの大切さを強く感じました。
国内では、ロシアのウクライナ侵攻や国際紛争の報道で、9条改憲・核共有・核抑止論を主張する声が大きくなりつつあります。
ダイナマイトを発明した科学者は、高威力・高破壊力の兵器が戦争の抑止力になると考えていたそうですが、歴史をみれば間違いは明らかです。
核戦争に勝者は存在しないし、先の世界大戦以降核戦争が起きなかったのは幸運なだけで、回避するには核兵器をなくすしかないのです。私たちは、運動で政府に働きかけ、そして政府は核禁止条約に署名・批准して、唯一の被曝国であり憲法9条を持つ立場で、核保有国を説得するべきではないでしょうか。過ちを繰り返してはなりません。
生き地獄≠生き抜くも…
向井 真樹氏
(佐野南海交通労組)
私は今回、初めて原水爆禁止2022世界大会に参加しました。
大会では、被爆者、被爆2世の方、各団体から色々な発言がありました。私が印象に残ったのは、被爆者である児玉(84歳)さんの以下の発言(要約)です。
「爆発直後は、まさに生き地獄、それを生き抜いても、放射能の影響で家族、知人が次々と亡くなり、また、広島出身というだけで、色々な差別も受けた。原爆は、人として死ぬことも、人間らしく生きることも許さない非人道兵器なのです」。
また、ロシアは核兵器をちらつかせて野蛮極まりない脅しをかけながらウクライナを攻撃しています。そして、唯一の被爆国である日本国政府も、核兵器禁止条約に背を向けているのではなく、核兵器廃絶へ、世界をリードしていく立場なのに残念でなりません。
原子力工学は人類には素晴らしい発見、技術ではあるが、平和利用である原子力発電も、福島のように事故が起こると地域の人々の生活は根底から壊されます。その後も風評被害を受け、廃炉作業は膨大な時間と費用がかかり復旧、復興も困難を極めます。
今後も原子力工学を人類は手放さないだろうが、これを上手くも、悪くも使うのは人間です。私たちは核兵器廃絶の実現に向けて共に行動しましょう。
最後に、大阪地連、南西地協各単組の皆さま、私を原水爆禁止世界大会に派遣していただき、ありがとうございました。
父は広島の話語らなかった
葉山 研一氏
(大商ユニオン労組)
原水爆禁止2022年世界大会で各国代表の言葉を聞き、当事者でもないのにこれだけ被爆国日本・広島の事を考えてくれているのだと、感銘を受けました。
私の父は、当時の帝国海軍兵学校第77期生で、1945年8月6日に、上陸訓練の名のもと、未だ夜が明けやらぬ江田島をカッターで漕ぎ出し、明方広島に上陸して、近くの山(名前は覚えていない)に登頂した時に、激しい「光」を見たそうで、それが「原爆」でした。
父は、昼頃に下山して市内の惨状を見てきたはずなのですが、そのことは一言も話しませんでした。恐らく口にできなかったのだと思います。父は既に他界しましたが、もっとしつこく聞くべきだったと思います。
母は大阪大空襲を経験しましたが、今なお健在ですので、もっともっとその時の話を聞きたいと思っています。
今回は、北東地協の代表として広島大会に参加でき良い経験ができました。今後とも労働運動とともに平和運動にも頑張っていきたいと思います。なかまに感謝いたします。