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2012年02月の記事
第10回役員セミナー 最終回
2012/02/06
くらし、雇用、いのち、震災復興…
いま本質を見抜く力を
──労働組合だからできること── 最終回
槙野理啓(みちひろ)氏(関西勤労者教育協会講師)講演
「資本の論理」と「人間の復興」対峙する時代
民間先行で労組の右翼的再編
1980年代、アメリカの要求に従った軍事大国化と、大企業に奉仕する臨調行革路線が進められ、労働者・国民には多くの犠牲が押しつけられました。80年代というのは、今日(こんにち)の様々な問題の出発点です。健康保険の個人負担が始まり、年金支給先延ばしが決められ、最初の労働者派遣法が導入されたのも80年代です。臨調行革路線というのは今でいうところの構造改革、これが始まったわけです。
また、政界や労働戦線の右傾化も進み、当時のナショナルセンターだった総評が「民間先行による労働戦線統一」の方向へと追従していきました。たたかう姿勢を自ら放棄していったということです。当時、私が加わっていた日教組では“バスに乗り遅れるな”という言い方をしていました。「連合」に向かって発車するバスに乗り遅れるな、というんですね。けれども大阪の多くの組織はバスに乗りませんでした。“たたかうナショナルセンターを選ぼう”という人々が主流だったわけです。
「民間先行」というのはつまり、公務員の組織には私らみたいに“ゴチャゴチャ言(ゆ)う連中がおる”と、そういうところはすぐに手がつけられないので、とりあえず民間、大企業が先に行くという意味で「民間先行」なんですね。
「労働戦線統一」っていう言葉の響きだけはきれいですけど、要は会社寄りの労働組合、会社の利益を守る労働組合としてまとめてしまおう、労働者階級の立場なんてことを言う連中は追いだしてしまえ、意見のあう者だけでまとめよう、という方向に進んでいったわけです。で、1989年11月21日、労働組合の右翼的再編の帰結として、反共・労資協調主義を基本路線とし、これに同調する組合だけで結成されたのが「連合」(日本労働組合総連合会)です。当時798万人、現在680万人以上の大きな組織です。
連合の本質は、特定の理念に基づく「選別結集」であり、政治戦線での反共野党を含むオール与党化、政界再編を積極的に推進し、さらには、政府・財界の「21世紀戦略」を支持し、奉仕しようとするものでした。
広範な国民から認められる存在に
連合結成と同じ日、統一労組懇に結集してきた階級的民主的潮流を軸に、たたかうナショナルセンター「全労連」(全国労働組合総連合、当時140万人)が結成されました。全労連は、日本の労働運動の積極的なたたかいの伝統を引き継ぎ、いっそう発展させるとともに、全国単産と都道府県ごとの地方組織、例えば大阪労連もそうですが、北海道から沖縄まで47都道府県の地方組織が対等な立場で参加する新しい組織形態を持つナショナルセンターとして、誰もが否定することのできない労働組合の基本的な3つの原則─「資本からの独立」「政党からの独立」「共通の要求での行動の統一」という原則を堅持することを明らかにしています。
全労連は結成以来、労働者の要求実現のために、国民春闘路線の旗を高く掲げて前進し、労働者の権利擁護のたたかいに全力をあげ、攻勢的な運動の発展にむけた多様な政策提言活動を旺盛に進めてきました。また、国民的な共同の一翼を担い、暮らし・福祉・平和を守る運動を進めてきました。このようなたたかいを通じて、組織を強化・拡大し、あわせて切実な要求に基づく共同を発展させてきました。未組織労働者や連合傘下の労働者からも大きな期待を集め、さらに広範な国民各層からも頼りがいのある存在として認められるようになっています。要は“全労連、がんばってきたよ”ってことです。
全労連のたたかいと組織を前進させ、圧倒的多数の労働者を結集し、日本社会の根本的な転換に大きな役割を果たしていく──これが、いま私たちに求められていることではないでしょうか。
東日本大震災を機に問題が顕在化
皆さん、“労働組合は暗い・弱い・頼りない”と卑下する必要ないんです。ただ本質は、むき出しでは現れてきませんから、社会が根本的に転換する可能性を自分から掴みとっていかないとあかんわけですね。物質的に見ていかないとダメだということなんです。
東日本大震災を機に、もともとあった問題が表にハッキリと出てきました。経済学者の石川康宏さんが、こうまとめてますね、「人間の復興なのか、資本の論理なのか」。結局ここですわ。ずっと貫かれている資本の論理がこのまま続けば、おそらく日本は破滅することになるでしょう。国民生活が成り立たないわけですから。
人間らしく働き、人間らしく生きるということを我々が追求していく、「資本の論理」と「人間の復興」が対峙する時代になっています。となると、成りゆきや経験だけでは、たたかっていけないのは明らかです。大いに学習し、みんなで議論して可能性を開いていくことが求められています。皆さんの議論に向けての問題提起になったかどうか、私の話としてはこれで終わらせていただきます。(おわり)