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2011年10月の記事

第10回役員セミナー(2)
2011/10/18

第10回役員セミナー(2)

くらし、雇用、いのち、震災復興…
いま本質を見抜く力を
──労働組合だからできること──(2)


槙野理啓氏(関西勤労者教育協会講師)講演

現実直視して変革に立ち向かおう

科学的なものの見方を


 事実・現実から出発し、事実・現実に基づいて物事を捉えていく、こうしたものの見方を「唯物論(ゆいぶつろん)」といいます。唯物論は、世界(自然・社会・人間精神)の根源が物質的なものであることを認める、つまり自分の外に客観的世界がある、と認めるということですね。何言(ゆ)うてるのかわからへん?(笑)、ごく普通の話ですわ。皆さんの前にわたし居(お)りますやろ?居るということを認めるでしょ?、唯物論ですね(笑)。それだけの話なんです。当たり前の話なんです。当たり前の話やけど、当たり前の話を当たり前にするのが実は難しいってことなんです。
 事実・現実から出発し、事実・現実に基づいて物事を考えるのは難しいから、かなり意識的・自覚的にやらないと自然にはできません。自覚的にやるためには唯物論的なものの見方を学ぶ必要があるということですね。
 唯物論は、自然や社会・人間それ自身のあり方を問題にし、そうした客観的世界の法則性は科学によって明らかにされるという立場をとります。要するに科学的なものの見方を身につけなければならないということです。唯物論とか科学というのは、現実世界の中で自由や幸福を実現しようと考える立場なんです。もし社会に不合理があるならそれを変革することを追求することになります。今日のテーマとの関わりでいえば、唯物論は現実世界の中で物事を解決しようとする立場なんだと、ここが一番のポイントですね。
 これに対して世界の根源が物質的なものであることを認めず、精神的なものの根源性を主張するのが「観念論」、唯物論と逆の立場です。観念論は現実世界を支配する精神的な原理、あるいは人間の感情や意志だけを問題にし、何らかの仕方で精神的なものによる世界創造を認めます。わからんかったら飛ばしてください(笑)。観念論でどうなるのかというと、現実にある対立や矛盾に、真正面から目を向けることができなくなり、現実を美化したり、現実と妥協しがちになります。

妥協してませんか?

 日本経団連の米倉会長は、福島第一原発について「千年に一度の津波に耐えているのは素晴らしい」と言いました(3月16日)。原発が事故起こしたけど全部燃えてしまったわけではないし、まだ立っとるやないかと、「原子力行政はもっと胸を張るべきだ」って、どこまで美化すんねん!という、もう安全神話を通り越してるでしょ?
 皆さんはそこまではないでしょうけど、妥協ならいっぱいありますよね、“こんな時やから仕方(しゃあ)ないやんか”、今年の春闘の中ではそんなことが多かったん違(ちゃ)いますか?あの大震災の後では“まー仕方(しゃあ)ないで、賃上げあきらめよか”みたいなことはどこでも起こってたことですわね。“仕事あるだけまだましや”なんて、皆さんの周りで言われてることです。
 実際に科学を徹底して唯物論の立場から見て“今の時点では仕方がないんだ”という結論が出る場面はもちろんあるでしょう。ありえない話ではないですね。だけど、そうやって出た結論じゃなくて、何となく“まあこんな時やから無理やで”てなことは我々でも起こりうることです。

観念論では何も変わらない

 唯物論が徹底できなければ現実にまともに目を向けることが難しくなって、その結果として現実を美化したり現実と妥協することになります。そして、社会を変えていこうという変革の観点が弱くなる、これが一番の問題です。社会を変えようという力は唯物論からしか出てきません。唯物論とは、現実の変革に立ち向かおうとする立場です。“物質が先か、精神が先か”などと何でこんなこと議論すんねんって思われるかもしれませんが、現実の変革に立ち向かう立場に立ちきれるかどうかを問題にしてるわけです。
 ところが人間は、意識の能力がすごいがゆえに、現実から離れて何らかの「真理」を頭の中からひねり出すこともできます。そして「主体性」をむやみに“私が、私が”と主張したり、“その気になれば何でもできる”とか“何事も心がけしだい”というような捉え方を強調したりすることもできます。ある意味、観念論というのは人間の意識の能力が高いからこそ出てくることでもあります。支配する側はそこを利用しよるわけです。(つづく)

権田顧問が東日本大震災・救援ボランティアで奮闘
2011/10/05

権田顧問が東日本大震災・救援ボランティアで奮闘 荒涼とした風景が広がる大船渡市街地(8月22日、撮影=権田顧問)

窮状続く被災地 継続的救援を


 大阪地連の権田正良顧問(元委員長)は8月21〜26日、東日本大震災被災地・岩手県大船渡市と陸前高田市での救援ボランティアに参加。6日間の奮闘日記を権田氏の個人ブログ『ごんちゃん写真日記』(http://ameblo.jp/kanezaki38/)から紹介します。

若者と共に泥だし作業
無料青空市で物資援助


 【1日目】
 21日、私と地域のなかま9人は堺を6時10分に出発。一路、岩手県をめざし北陸道をひた走る。
 18時、堺市民から届いた救援物資を積んで先発していた4トントラックと一関で合流。一関ICを降り20時20分に陸前高田の宿舎(湯治場風の旅館・フトンや食料は持ち込み)に到着。
 【2日目】
 22日(くもり時々雨)、大船渡に入る。大船渡湾沿いの街は津波で壊滅状態。線路もズタズタ。船が300メートルも陸に流されたまま放置されている。商店街、工場も壊滅状態だ。
 9時、大船渡の活動拠点に直行し物資を降ろした。堺から運んだ救援物資はダンボール140個。主に食器類が70個。生活用品・衣類など70個余りだった。
 午後からは、大船渡市社会福祉協議会に行きボランティア登録。すでに全国から30人余りが集まっていた。早速、現地に出発。
 13時、浜松市から来たボランティアと合流し側溝の泥だし作業だ。フタを外しスコップで泥をかき出す。ズボンも泥で汚れた。若者は活発に作業をする。
 【3日目】
 23日(くもり)9時、トラックに救援物資を積み込み「救援無料青空市」の会場に移動。
 10時から県営住宅・雇用促進住宅広場。午後は市民球場仮設住宅広場の2か所で「青空市」を開催。特に食器などが喜ばれ、この日の救援物資はすべてなくなった。
 宿舎への帰路、陸前高田市の中心地を見に行った。市街地は全滅。光景を見て腰が抜ける思いがした。ガレキの山だ。
 被災した旧市役所の玄関に祭壇が設けてあった。線香をあげて合掌。また、玄関前には、皆を勇気づけるかのように、ヒマワリが荒涼とした街の中に咲いていた。

幸福の黄色いハンカチ
被災地にたなびく


 【4日目】
 24日(くもり)6時、堺に帰る5名を見送る。今日から残りの4名でがんばらねば。
 9時、陸前高田市西和野地区に入る。ここの地区は間一髪で津波からの被害を免れた地域だ。
 10時から15時にかけて、行政に対する要望を聞くために、この地区すべての家を訪問した。「街灯を設置してほしい」「高校への無料バスの運行を続けてほしい」「道路のデコボコを補修してほしい」「流された橋を架けてほしい」など、多くの要望が寄せられた。
 【5日目】
 25日(くもり)、陸前高田市内を回ってみると小さな漁村集落も津波にやられて大きな被害を出している。田畑も全滅だ。あらためて被害の甚大さを知らされた。
 10時30分、市民の会などが行なう「被災者救援共同センター・無料青空市」に来られる被災者の交通整理をした後、奇跡的に生き残った「高田の一本松」を見に行った。遠くから見る松は少し枯れかかっているようだった。ガンバレ。
 また、山田洋次監督が寄贈した「幸福の黄色いハンカチ」の塔が復興のシンボルとして荒涼とした街の中で元気よくたなびいていた。この塔は、8月21日に北海道から陸前高田市に移されたものだ。
 午後は、「無料青空市」を3か所の仮設住宅で取り組んだ。ここでも食器、タオル、衣類などが大変喜ばれた。
 【6日目】
 26日(くもり)6時、宿舎を出発し帰路につく。高速道路をひた走り19時、堺に無事帰ってきた。
 《活動に参加して》
 今回のボランティア活動は、大変厳しい活動ではありましたが、貴重な体験をさせてもらいました。そして、今後とも継続的なボランティア活動と救援物資の支援など、復興・復旧支援を続けていく必要性を強く感じました。

第10回役員セミナー
2011/10/05

第10回役員セミナー

くらし、雇用、いのち、震災復興…
いま本質を見抜く力を
──労働組合だからできること──(1)


槙野理啓氏(関西勤労者教育協会講師)講演

問題意識持ち能動的に現状分析を

 本欄では、関西勤労協講師の槙野理啓(みちひろ)氏が9月17日に第10回役員セミナー(大阪労連・関西勤労協共催)で行なった講義の要旨を連載します。


 2003年に「連合評価委員会最終報告」というのが出ました。連合というのは労働組合の「連合」のことですね。連合が自らを評価してもらうために、外部に頼んで中坊公平さんという有名な弁護士を筆頭に知識人が集まって、連合を評価・分析した最終報告です。その中では、労働組合を世間がどのように見てるかということについてこうまとめてるんです…「雇用の安定している労働者や大企業で働く男性正社員の利益のみを代弁している」「労使協調にどっぷりと浸かっていて緊張感が足りない」「組合自体にエゴが根付いていて守りの行動になっている」「国民の共感を呼ぶ運動になっているのか疑問である」…こういう批判がずっと並べてあるわけですね。
 もちろん連合と全労連の運動は明らかに違う面があります。けれどもこういう見立てに対して、我々は全労連だからそんなことはないんだと言い切れるのか、という問題を今日の講義全体を通じて一緒に考えていきたいと思います。
 メインのテーマは“労働組合だからできることは何なのか”ということですけど、それを、皆さんこうしましょうね、ああしましょうねって説教するみたいに言ったって始まらん話でね、やはり自分で考え、自分で判断することが大事なわけです。

現象と本質はちがう

 “本質を見抜く”とはどういうことなのか、まずここからいきたいと思います。私たちが見たり聞いたり、感覚で直接とらえることができるのは、物事の表面に現れ出た現象にすぎません。ところが物事には本質というものがあります。表には現れない物事の内面、内面ですから外からは見えないけど、そのものをそのものとして成り立たせている何かがありますね、これが本質ですわ。わかりにくいなーと思われるでしょう。見えへんからわからへん、当たり前の話なんですけどね。
 現象は本質から外れたり、歪んだりひっくり返ったり、さまざまな形で現れます。例えば、太陽は東から昇って西へ沈みますよね。でも、違うということを私たちは知ってます。地球のほうが回ってるんですね。太陽が動いているように見えるのは現象であって、本質ではないわけです。“会社のおかげで生きてる”なんてよく言いますけどこれもそうです。現象的には、我々は雇われなけりゃ生きていけません。確かに会社から給料もらうから生活できるんであって、“会社のおかげで生きてる”ように見えますが、本質は違います。
 あるいは“労働組合といえば”って訊かれたときに皆さんの頭の中にはどういう単語が浮かびますか?まあだいたい“暗い、弱い、頼りない”って思うわけです。もちろん本質が暗いわけでもないし、弱いわけでもないし、頼りないわけでもないんです。

現実をありのままに

 本質はむき出しでは出てこないんです。これが現象と本質の関係ですから見たり聞いたりしたことだけで簡単に判断してはいけない、しかし本質は必ず現象として現れる、ということですね。むき出しでは現れないけれども、隠れっぱなしの本質なんてものはないということですね。ですから、現象に振り回されることなく、現象的事実をよく捉えるところから始めなければなりません。
 そして、その現象の原因はなにか、どのような共通性・法則性があるかなどを、むき出しでは現れてこないから、こちらから探っていかなあかんというわけです。現象と本質が最初から一致してるのなら科学は不要ですが、違うわけですね。となると、それを分析し、偶然的にしか見えない諸現象のなかに必然性を見いだしていく、それが科学の役割だということです。
 本質を見抜くためにはまず、先入観や偏見、幻想や願望などから物事を見るのではなく、事実・現実をありのままに捉えることです。“ありのまま”とは“見えたまま”ということではありません。“どうなってるんやろ”という問題意識を持って能動的に物事を理解しようとすることが大事です。そうして現象的事実をよく捉え、本質にまで踏みこんで理解したとき、現象と本質の統一を“現実”といいます。(つづく)