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2008年08月の記事
関西勤労協・槙野理啓氏講演 連載B
2008/08/26
「労働組合はいざというときの保険か」
損得だけでは測れない労働組合の価値
本欄では、関西勤労者教育協会講師の槙野理啓(みちひろ)氏が「第7回役員セミナー第3回実行委・プレ学習会」(7月15日)で行なった講演「労働組合はいざというときの保険か」の要旨を連載しています。
「労働組合はいざというときの保険」という言い方はある程度、間違いではありません。当然、労働者が困っていたら労働組合は助けますし、労働者にとっては役に立つものです。だからそこは自信を持って誘えばいいわけです。保険的な役割がないわけではないですね。
しかし、「保険」という捉え方、位置付けが一人歩きするというか、あまりにも表に立ち過ぎると、「保険」というからにはどんな「給付」があるのか、掛金つまり組合費に対してどれだけの戻りがあるのかということが当然の関心対象となるわけですよ。「労働組合は保険やと思って入ってるんや!組合入ったら賃金上がるし!→上がってへんやん最近」とか「組合入ったら権利守られるし!→全然守られてへん、好き勝手やられてるで」って話になるわけです、いまのような状況やったら特に。
それから、生活が苦しくなってきた、さらに賃金切り下げられそうやと。「もう大変やから、組合費払うのしんどいからやめさせてもらうわ」とかね、「どうせ賃上げ闘争なんかしてもムダやで」とかいう話が出てきたときに、「そんなこと言(ゆ)うやつがアホやねん!」という話じゃなくてね。そら、言うからには言うだけの理由があるわけですよ。それをちゃんと組合の役員の人たちがね、「いや、そうじゃないだろう」とか「なんでそう思うの」とかね、そういう対話ができるかどうかですね。
「保険」という位置付けが強すぎたらね、「そやなあ、メリットないしなあ。しゃあないか。このさい抜けて、また何かあったら入ってちょうだい!」とか言うてしまったりするわけですわ(笑)。掛金に対していまの状況では「残って」とはよう言わんと。「でも困った時がきっとくるから、その時にはまた入ってね」みたいな会話になってしまう。これは労働組合本来の姿ではありません。
労働組合は保険としての役割がないわけではないけども、決して単なる保険じゃないということですね。「損か得か」では測れないものがあるわけですよ。
いざという時でなくても労働組合は必要なんじゃないか、というよりも、実は資本主義という仕組みは、労働者に対しては、いつでも「いざという時」なんです。資本家と労働者の間の契約は決して公正ではありえません。いくら法的にタテマエとして対等・平等だといわれても、圧倒的に資本家有利なんです。不利な立場におかれてるのが労働者なわけです。だから年がら年中ずっと「いざという時」なんです。労働者自身が自覚するかどうかだけの問題であって、その「いざ」に対応するためには労働者がまとまる以外ない。数だけが勝ち目のあるところですから。これをまとめることが労働組合の課題だというわけですね。
したがって「いざという時」でなくても組合に入ってもらわなあかんわけですね。「役に立つよ、組合に入ったら」「いざという時の保険になるから、入っといて」っていうんじゃなくて、「資本主義の仕組みの下で労働者がまともに生きていこうとすれば、労働組合にまとまるしかないんだ」と、「あなたのちからがいるんだ」ということを率直に言わなあかんですね。
「金を出してもらう上に、そんなこと言うたら入ってくれへんで」と思われるかもしれませんが、これは逆やと思うんです。「あなたのちからがいるんだ」と言われて悪い気する人はいないと思うんです。(つづく)
関西勤労協・槙野理啓氏講演 連載A
2008/08/05
「労働組合はいざというときの保険か」
自然発生的な抵抗からストライキへ発展
本欄では、関西勤労者教育協会講師の槙野理啓(みちひろ)氏が「第7回役員セミナー第3回実行委・プレ学習会」(7月15日)で行なった講演「労働組合はいざというときの保険か」の要旨を連載しています。
資本家圧倒的有利という状況の下で、労働者は自然発生的に抵抗します。いくら犯罪とされたって抵抗せなしゃあない。あまりひどい状況に置かれたらね。
はじめは「盗む・壊す・殴る」だった抵抗手段が、殴り返されたり警察や軍隊が入ってきて弾圧されるなど、いろんな苦い経験を積んでいく中からストライキが始まるんですね。
雇われて働かなければ生きていけない労働者が、あえて自分から働かない、というのがストライキですね。
きっと、あまりにひどい仕打ちのもとで、ある時に労働者が仕事を放りだしたんでしょうね。ムチャクチャ虐げられてきた労働者が全員で仕事を放りだした、エラい目にあうやろなと思うて、ビクビクしたんだろうと思いますけどね。怒ってるやろなーと思ってふと振り返ってみたら、雇い主たちは怒るどころかオロオロしてるわけです。
それで労働者は気がついたんですね。「あ、そういうことか」と。自分たちは生産手段から切り離されてるから、ひっつかないと生きていけない。会社のおかげで生きてると思ってた。だから会社の言うがままにされてきた。ところが、生産手段と労働力が離れてるというのは生産手段を持ってる側、会社側から見ても同じなんだ、と。
労働者は自分の側から見ますからね。「ひっつかないと生きていけない」ことばかり注目しますけど、会社の側も労働者が来なければ仕事にならん、儲からんということ、これに気がつくわけですね。これがストライキということですね。自然発生的な抵抗からやがてストライキというものへと発展していくわけです。
ただしストライキはひとりでやってもアカンのですね。「この会社、仕事キツいし、給料安いし。やめたらぁ!」とタンカ切ったら「どうぞ」と言われて終わりです(笑)。「代わりは、なんぼでもおる」これがまた資本主義なんですね。
だからストライキというのはみんなでやってこそ効果があるということですね。みんなでやろうと思ったら準備せなあきません。で、雇われなければ生きていけない労働者が自ら仕事しないというわけですから、お金も準備しとかなあきません。日常的に準備する組織としてスタートしてくるのが労働組合、こういう歴史の流れなんですね。
結局、資本主義という仕組みは労働者にとって不利な状況です。だけど、数だけは負けてへんからまとまろうとする。資本家たちは、まとまらないように競争を持ち込む。したがって、労働者の側はこの競争をできるだけ避けなければならんと、これが労働組合なんですね。
「労働者が、共通の利害を基礎に、なかま同士の競争を制限し」、ここがポイントになるわけですね。「要求にもとづいて団結して資本家階級とたたかう、それが労働組合」なんだ、と。教科書的にいうとこんな話になるわけですね。
ただ、いまの労働組合で考えてみますと、だいたい「暗い、弱い、頼りない」。労働組合は「仲良しクラブ」じゃないです。単なるサークル、お楽しみクラブでもないわけですわ。
労働組合は、階級闘争の最前線にあって、資本家階級と労働者階級のたたかいの接点にあるわけですから。労働者がまとまるか、資本家がそれを阻止するかの最前線にあるわけで、のんきに「明るく楽しく」なるはずがないんですね。(つづく)