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2013年08月の記事
《手記》日米安保破棄し真の独立を 平和求める力を結集しよう
2013/08/26
《手記》日米安保破棄し真の独立を 平和求める力を結集しよう
大阪地連 松下末宏書記次長
皆さんは「美しき天然」という曲をご存じでしょうか。サーカスやチンドン屋さんのジンタ(軽吹奏楽)でお馴染みの、「空にさえずる鳥の声、峯より落つる滝の音──」で始まるワルツです。この曲が作られたのは1902年、作曲は当時佐世保海兵団の軍楽隊長だった田中穂積、作詞は「花」(春のうららの隅田川)で知られる武島羽衣。当時は日清戦争と日露戦争に挟まれたつかの間の平和な時期であり、佐世保の基地体制もまだ強化されていませんでした。この曲は佐世保の自然をイメージして作られたもので、田中は佐世保の烏帽子岳や弓張岳から望む九十九島の風景をこよなく愛していたといいます。
8日の「動く分科会」で佐世保を視察した際に、案内役の方からこのエピソードを聞き、心が少し和んだことが今回の2013年原水禁世界大会・長崎に参加しての強い印象の一つとして残っています。
私が原水禁世界大会・長崎に参加するのは2回目で、前回は被爆地の遺構・碑、原爆資料館をめぐり、すべてを消滅させる原爆の恐ろしさ、その中でも生き残ろうとする生命の尊さ、そして、核兵器廃絶の実現に向け運動する多くの若者たちの熱気に触れ感動しました。
今回は、米軍が佐世保湾を支配している様子を視察しました。湾内を観光船で回ると、港にはイージス艦や強襲場陸艦、ホバークラフトが停泊し、給油所や巨大な弾薬庫が沿岸に点在していました。佐世保湾の水域の83%は米軍の制限水域で、民間はたった17%しか自由に使用できないとのことでした。
また、湾内にある佐世保重工業の造船ドック2つを米軍が占有し、他のドックも地位協定により何時でも優先使用可能という現状の説明を受けた時には、私が1973年に沖縄を訪れた時の記憶が甦りました。この年は沖縄が日本に返還された翌年で、道路はまだ右側通行、ムーンビーチなど美しい浜はもちろん、沖縄のほとんどすべてと言ってよいくらいを米軍が占有していました。いまだ日本がアメリカの占領下にあり、日米安保条約を破棄しない限り日本の真の独立はできないと改めて実感しました。
9日の閉会総会に「プラトーン」「JFK」などの傑作で知られるアメリカの映画監督、オリバー・ストーン氏が登壇しました。同氏は昨年、歴史学者ピーター・カズニック氏と共作したドキュメンタリー番組「もうひとつのアメリカ史」の中で、“原爆投下が戦争終結のために必要だった”という米国の歴史認識を徹底的に批判しています。
オリバー・ストーン氏は「アメリカの学校では生徒に“原爆を使わなかったら10万人の米兵が日本の本土決戦で亡くなっていた”と教えている。しかしそれは大きな間違いで、日本の敗戦はすでに決定的だった」「アメリカが戦争犯罪を決して認めないのは勝者だから。“勝った者が正しい”という考えだ」「日本人は戦争がどのようにして行われたかを知らないのではないか。子どもたちも教わっていないのではないか」「日本は戦後、アメリカの戦争を支持してきた。日本の首相はアメリカ言いなりなので、福島原発事故以降も安倍首相は原発を再稼働させようとしている」「アメリカは中東での失敗を経て、中国を封じ込めるためにアジアに起点を移そうとしている。緊張を高め、アジアで新たな軍事同盟を復活させようとしている。日本は立ちあがってアメリカにモノを言うべきだ。皆さんは日本の良心を代表している。過去の過ちを決して将来に繰り返さないためには過去の歴史を学ぶことだ」と強いメッセージを発しました。
会場は若者の熱気にあふれ、拍手と歓声が響き、核なき世界を求める運動が途絶えることはないと実感しました。
1人ひとりの力は弱くても0ではありません。平和を求める100人が集まれば100の力になる、それは労働運動も同じです。人類と共存できない核を全廃するために、共にがんばりましょう。
原水爆禁止2013年世界大会・長崎
2013/08/26
国内外の青年が核兵器廃絶への思いを語り、決意表明。最後に合唱で盛り上がる(8月9日の閉会総会で)
被爆者と心ひとつに
核兵器廃絶・脱原発
「核の被害者をつくらせない」の願いをひとつに、原水爆禁止2013年世界大会・長崎が8月7〜9日に開かれ、開会総会には6500人、閉会総会には7000人が長崎市民会館に集結。国内外で平和運動や脱原発運動に取り組む活動家、政府・団体の代表らが一堂に会し、「核兵器のない世界」への道を切り拓(ひら)く決意を誓い合いました。
開会総会で主催者報告に立った大会議長団の安斎育郎・立命館大学名誉教授は「今日ここに集まった私たちがやるべきことは明確だ。30万人を超える原爆犠牲者や、いまなお心に悲しみ苦しみを抱えている多くの被爆者と心をひとつにし、非人道の極致ともいうべき核兵器を廃絶するために力を合わせること、世界にその一大潮流をつくり、後戻りすることのない、揺るぎない国際世論を構築していくことにほかならない」と力を込めました。
また、東日本大震災被災地からの発言として福島県飯舘村の小学6年生・志賀晃太くんが「避難生活では役場職員の母と週に1回しか会えない日々が5か月続いた」「原発事故がなかったら、こんなにつらく、悲しく、くやしい体験はしなかった」「核兵器はこの世に必要ないもの。原水爆禁止運動を世界に発信してほしい」と語りました。
閉会総会では「憲法第9条を守り生かす運動を大きく発展させましょう。沖縄はじめ米軍基地の縮小・撤去を求める運動、集団的自衛権の行使など日米軍事同盟の強化に反対するたたかいをさらに強めましょう」とする「長崎からのよびかけ」を満場の拍手で採択。
締めくくりには日本原水協・安井正和事務局長が行動提起。2015年に開かれるNPT再検討会議に向けて「核兵器全面禁止のアピール」署名をさらに大きく拡げようと訴えました。