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2010年10月の記事
JMIUダイキン工業争議
2010/10/25
支援を訴えるJMIUダイキン工業支部のなかま(10月15日、堺市総合福祉会館で)
首のすげ替えで雇用責任逃れ
労働者をモノ扱いするな!!
ダイキン工業の「有期雇用雇い止め」とたたかう労働者4人を支援するため、「ダイキン争議支援共闘会議」(川辺和宏議長=大阪労連議長)と「ダイキン工業有期間社員の雇い止め無効と職場復帰を求める裁判闘争を支える会」(脇田滋会長=龍谷大学教授)の「結成集会」が10月15日に堺市内で開かれました。
07年12月に大阪労働局から「偽装請負」の是正指導を受けたダイキン工業は、同社堺製作所(金岡工場・臨海工場)で働く請負労働者382人を「有期間社員」として直接雇用に切り替えました(08年3月)。期間は最長で2年6か月です。
JMIUダイキン工業支部の青山委員長は、偽装請負のときから通算で19年以上ダイキンで働いており、請負会社との間では期限の定めのない雇用契約でした。つまり、ダイキンと請負労働者との間には、すでに事実上の雇用契約が成立しており(黙示の労働契約の成立)、直接雇用への切り替え時に本来なら正社員として雇用されるべきなのに、「ダイキンを辞めるか、有期で働くか」の二者択一を迫られたのです。
同支部の4人は雇用期間終了が迫る中、「雇い止め撤回」「雇用継続」を求めて3度の団体交渉を重ねてきましたが、会社は「契約期間満了は労使双方の合意事項」として、203人もの「有期間社員」を8月末で雇い止めにしました。
製造現場は大変忙しく、会社は新たに200人以上もの「有期間社員」を別に雇い入れています。言わば労働者の首のすげ替えであり、雇い止めには合理性も正当性もありません。引き続き雇用すると事実上の「期限の定めのない労働者」となり、身勝手な解雇が難しくなる、というのが会社の本音です。
4人は「雇い止めは事実上の解雇である」として、解雇無効と雇用の継続、損害賠償などを会社に求めて大阪地裁へ提訴(9月1日)。10月14日には第1回口頭弁論が大阪地裁堺支部で行われました。
このたたかいは、解雇権付き有期雇用で「労働者をモノ扱い」するダイキンの社会的・道義的責任を追及するものです。原告4人の職場復帰を勝ち取るため、15日の集会では宣伝・抗議行動や要請署名などの行動提起を採択。自交総連は幹事団体として奮闘します。
第9回役員セミナー 浜林正夫氏(一橋大学名誉教授)講演 連載@
2010/10/15
労働組合?何のため、誰のため
─労働組合の社会的責任を考える─
連載@ 歴史の教訓から学ぶ
学習の出発点は疑問を持つこと
「第9回役員セミナー」(9月18〜19日、奈良県社会教育センター)で浜林正夫氏(一橋大学名誉教授)が行なった講演「労働組合?何のため、誰のため」の要旨を連載します。
「企業の社会的責任」と比べると「労働組合の社会的責任」という言葉はまだ一般的ではありません。
80年代のイギリスで尖鋭化した労働組合が病院のストライキを強行したことがありました。当時のサッチャー政権は構造改革で労働組合をメチャクチャにしていました。その労組は病院の入り口にピケを張り、薬や輸血用血液の搬入を阻止してしまいました。病院はあわてて入院患者を退院させて、家庭での処置に切り替えました。こういう無茶苦茶な行動をやると、労働組合は何をやっているんだ、国民の犠牲をどう思うんだ≠ニいう声が当然起こってきます。
私はこの話について執筆しているときに、労働組合には社会への責任がないのだろうか、という疑問を持ったわけです。
今日これからお話しすることは、あくまで私の個人的な意見ですから、あの先生が言ったから正しいんだ≠ネどと考えないで下さい。学習の出発点は疑問を持つことです。疑問がなければ何の話を聴いても頭の上を通り過ぎてしまいます。労働組合はいまのままでいいのか≠ニいう疑問を持っていただきたい。多分、このままでいい≠ニ考えている人は少ないと思います。どうするのか≠ヘ、私が指図することではありません。
労組はパブから始まった
イギリスの労働組合はパブから始まった、という有名な言葉があります。日本の労働者も会社の帰りによく酒を飲むでしょう。その時に誰と飲むか≠ニいうことを考えていただきたい。日本の労働者は大体同じ会社の人と飲みに行きますよね。上司や経営陣の悪口を言って…というパターンです。
パブというのはイギリスの飲み屋ですね。ここは他の会社で同じ仕事をしている人と、例えば大工さんなら大工さんが集まるパブがあるんです。そこで話をすると「お前のところの給料はどうだ」とかそういう話になっていくわけです。上司の悪口で終わらずに、労働条件の話が出てくるので、そこから労働組合が始まったという話です。
日本の最初の労働組合は1897年(明治30年)の「鉄工組合」です。ここで注目していただきたいのは、会社の中に作ったのではなくて、先ほどのパブの話のようにいろんな会社で働いている製鉄工の組合、つまりよその会社の人も含めて同じ仕事をしている労働者が組合を作った、これを「職種別組合」といいます。
しかしその後、「職種別組合」は拡がらず、「三菱長崎造船所」とか「東京モスリン」など企業ごとに組合ができていきます。それも工場ごとにできました。
なぜバラバラなのか
1960年に三井三池炭坑で大ストライキがありました。しかしあれは三池炭坑だけのストに終わってるんです。外国から見ると不思議なんです。同じ三井の労働者なのに何で三池だけなんだ≠チて。
それより前の、1958年に王子製紙苫小牧工場でストライキがありました。当時私は北海道にいたので応援に行きましたが、結局第2組合ができて失敗に終わりました。何で苫小牧だけでストをやっているのか、と私は疑問を持ちました。同社の全国の工場が一斉に支援ストをうてば、非常に強い力になって会社を屈服させることもできたはずです。同じ頃、日鉄室蘭のストライキがありましたが、これも室蘭だけでした。その頃から私は、日本の労働組合はどうしてバラバラにたたかうのか、という疑問を持ちました。
イギリスの労働組合は最初から職種別であり、企業ごとではありません。企業を超えて職種によって団結をしていくというのが労働組合の一般的な形です。この違いがどうして出てくるのかということが疑問でありまして、これは私なりの答えはありますけれども、申し上げません(笑)。皆さんも疑問に思ってください。(つづく)