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2011年11月の記事
第10回役員セミナー(5)
2011/11/25
くらし、雇用、いのち、震災復興…
いま本質を見抜く力を
──労働組合だからできること──(5)
槙野理啓(みちひろ)氏(関西勤労者教育協会講師)講演
資本主義のあくなき利益追求が社会壊す
あらゆる分野に利益第一主義
資本主義は、かつて例のない飛躍的な生産力の発展と、その結果としての社会的な富の急速な増大をもたらしました。この資本主義を動かす最大の動機と推進力は剰余(じょうよ)価値の拡大にあります…詳しくは労働学校にお越し下さい(笑)。資本主義の下(もと)での生産は、あくまでも利潤の獲得を目的としたものであり、決して社会のために行われるのではありません。
会社がいろんな経済活動をやります。コマーシャルで“日立はすべてを地球のために”とか、いろいろ言いますが、別に地球のために仕事してるわけじゃないんですね。目的は、あくまでも「儲け」です。
トヨタは車を作ってますけど、会社が何を作るのかは大した問題ではないわけですね。“トヨタ、一生懸命に車作ってるやん”って、たまたまですよ。だってトヨタって元々は豊田自動織機という繊維機械メーカーの一部門だったのが“車のほうが儲かるで”ということで独立した会社ですよ。もしかしたら50年後には“もう車はあかん、やめた”言(ゆ)うて、カップラーメン作ってるかもしれませんよ(笑)。トヨタラーメン、何があかんの?って別に構(かま)へんわけでしょう。パナソニックがウナギ養殖しても構へんわけです(笑)。“何を作ってるか”の問題ではなくて、“どれだけ儲かるか”の問題になる、これが資本主義なんですね。
こうした「利潤第一主義」は、資本主義を始めから終わりまで貫く原理であり、資本主義が進めば進むほど、個々の資本(企業)の行動を規定するだけでなく、社会のすべての領域をおかしてゆく原理となります。会社が利潤を追求する─これはわかりやすい話です。ところが資本主義が進めば進むほど、資本や企業にとどまらない社会のあらゆる分野に利潤第一主義が浸透していく、ということです。
教育の分野にも利潤第一主義が入ってきて、“生徒が少ない学校はつぶしてしまえ”みたいな話が出てきてるでしょう。医療でもそうですね。現場で働いてる人は“人の命を救うのが医療だ”と思っていても、資本主義が進むにつれて“儲かるか、儲からへんか”の問題になっていくわけです。福祉でも人を助ける仕事なのに金儲けの方向に引きずられていく。働いている人の責任ではないんですけど、事実はそうですよね。文化やスポーツでも結局、金儲けの方向に引きずられていくというのが資本主義だということですね。
生産のための生産
資本主義の下では、資本家が生産手段と労働力を結びつけることによって生産が行われます。資本家が工場や機械、原材料を準備し、そこに労働者をかき集めてきて仕事をさせるわけですね。生産は、多数の労働者の協働として社会的なつながりをもって行われますが、生産物はすべて、生産手段を私的に所有している資本家のものとなります。つまり、働く人々が生産物から切り離されるということですが、資本家の側も生産物そのものが目的ではなく、「剰余価値」を求めて生産を行うことになります。いわば「生産のための生産」です。
「生産のため」ではなく、「消費のため」の生産だったら、これには限度があるわけです。「贅沢(ぜいたく)」というものには限度があるんですわ。私も皆さんも贅沢したことないからわかりづらいですけど(笑)。贅沢というのは、例えば“おいしいものを食べたい”“もっと食べたい”って1日30回も食べられへんでしょう。ところが資本主義は目的が金儲けです。金儲けには限度がないわけです。“1億円貯まったから、もうええわ”なんて絶対言いませんね。
どこの労働学校でもこの話をすると、すぐ資本家のことを心配する人がいるんです。年収100億円の実業家とか“そんなに儲けてどないしはるんですかね、使い切られへんやん”って(笑)。資本家にとってお金は“いかに使うか”じゃなくて“いかに増やすか”なんです。だから「生産のための生産」、「蓄積のための蓄積」なんですね。これが、生産力を限りなく発展させていくことになるし、資本家の目的も、あくなき剰余価値の追求となって、それらには限度がなくなる、ということです。
体制的な矛盾いよいよ明らかに
資本主義は、生産力の飛躍的な発展と科学技術の高度な発達をもたらし、世界市場における諸国民の国際的なつながりをつくりあげてきました。
しかし利潤第一主義は、労働者に低賃金・長時間労働・不安定雇用・労働強化などをもたらし、貧困と格差を拡げています。労働者・国民の消費購買力が低く抑えられることによって、必然的に恐慌を引き起こします。
さらに、発展途上国への貧困の押しつけや、国境を越えた金融投機の横行、地球規模での環境破壊、深刻な人間破壊などをもたらしています。いまや、巨大に発達した生産力と利潤第一主義の狭い枠組みが衝突するという、資本主義の体制的な矛盾がいよいよ明らかになっています。
で、ここで話が終わってしまうと、“支配する側の力はすごい”ということで皆さんを滅入(めい)らせてしまうだけですが、では、どこに可能性を見出(みいだ)すのかということです。このような矛盾の中でも資本主義を克服し、新しい社会を実現していく条件が成熟していることを見逃してはなりません。(つづく)
第10回役員セミナー(4)
2011/11/15
くらし、雇用、いのち、震災復興…
いま本質を見抜く力を
──労働組合だからできること──(4)
槙野理啓(みちひろ)氏(関西勤労者教育協会講師)講演
働く喜びを奪い苦しみに変える資本主義
現代は階級社会
2つめのテーマは、そもそも現代社会、資本主義とはどんな社会なのかということです。
人間はどんな道を歩んできたのか。その始まりは原始共産制社会でした。原始時代の話にまで遡(さかのぼ)ります。少なくとも5万年ほど前、土地や道具などの生産手段は誰のものでもありませんでした。誰のものでもないというのは、共同で所有してるということでもあります。採集や狩猟は共同で行い、その成果は公平に分配されていました。原始時代の人間は貧しいながらも、そこに階級や国家はなく、男女間の不平等もありませんでした。
いまから1万年ほど前までは、植物や動物を採ったり狩ったりして生きていたわけですが、農耕や牧畜が始まることによって、人間の生きていく能力が高まっていきます。さらに金属も扱えるようになり、生産力が高まったことによって余剰の生産物ができるようになります。原始時代は生産力が低くて、みんなで協力して働いてもかつかつで生きていくレベルだったから不平等が起こりえない、起こる条件がなかったということです。
ところが、能力が高まって必要な分以上に生産できるようになると、皮肉なものでこの余ったものを誰が手にするかで、もめ始めます。手にする人と手にできない人との格差が生まれるわけです。結局、それが支配をする者、される者という関係を生み出して、人間社会は階級社会へと移行しました。以来、古代・奴隷制社会、中世・封建制社会、近代・資本主義社会へと移り変わってきた…まあ大体これで5万年です。
古代・奴隷制社会というのは、日本の歴史では古墳時代〜奈良、平安時代の話ですね。それから武士が台頭してきて鎌倉、戦国時代を経て江戸時代になると封建制社会が完成します。それがさらに変化して現代に至るわけですね。現代社会は資本主義ですけど、大事なことは階級対立のある社会だということです。当たり前のことなんですけど、普段はそれをあまり意識せずに生きてしまっています。現代は階級社会なんだということを、まずしっかり認識しましょう。
労働者には生産手段がない
資本主義は、働く人々を土地や道具などの生産手段から切り離しました…そう聞いて一発で理解できる人はまずいませんね。“何でや?”“何言(ゆ)うてるのか解(わか)らへん”ってね。何で解らへんのかというと、いまは資本主義ですから。特別に意識しなければ空気が“ある”ということに気づかないのと一緒で、いきなり資本主義とはこういうものですよって言うたところで、当たり前すぎて逆に何言うてるのかわからんわけですけど、“よく見てみると”ということですね。
資本主義は皆さんを土地や道具などの生産手段から切り離してる、もっと解りやすく言うたら“家に帰っても財産らしい財産はない”という話ですわ。これなら解りやすいでしょう。皆さん財産ありますか、ないですね、よかった(笑)。家に財産のない人を「労働者」というんですね。正確には「財産」というより「生産手段」ですけど。生産手段が家にないので、それがある所に引っ付かないと生きていけない、だから「就職する」ということです。生産手段を持たない労働者は雇われて働かなければ生きていけません。
労働成果は誰のもの?
“労働者が雇われて働くのは当たり前やんか”と思うのは現代人だから当たり前なのであって、例えば江戸時代の農民は殿様に雇われていたわけじゃないんです。どんな家に生まれたかによって生き方が決まったわけですね。農民が働いて作ったお米は誰のものか。殿様のものではないんですよ。農民が作ったお米は農民自身のものなんです。ただし、そのうちのかなりの部分が年貢として取り上げられるという問題はあります。けれども、作ったものはあくまでも農民のものですから残った分は自分が食べるわけです。
現代は違いますよね。例えばトヨタの労働者が朝から頑張って車100台作ったと、ところが“強欲な会社やで、頑張って作ったのに90台も取り上げよった、仕方(しゃあ)ない、1人1台ずつや”言うて乗って帰らへんわけですわ。100台作ったら100台全部、会社のものですよ。そのこととは別に「賃金を受けとる」ということはあります。だけど労働者が労働成果から切り離され、すべて資本家のものになる、これが現代の資本主義です。
働けば働くほど財界が力つける
資本主義の下でこういう働き方になると、生産物が人間と対立するようになります。自分の作ったものが自分に刃向かってくるんですね。江戸時代の農民が作ったお米、半分は年貢で取られてしまった、残ったお米が襲いかかってくる─ありえへんでしょう。残ったお米は自分のお腹を満たしてくれるわけです。取り上げられるという悩ましい問題はあるけど、少なくとも自分の作ったものは自分の助けになるわけです。
皆さんは違います。一生懸命に働けば働くほど、それは資本家を太らせ、財界に力を与えるわけです。財界、大企業が大きな力を持って皆さんを苦しめているわけでしょう。すべてに競争が持ち込まれ、富が貧困を生み出し、労働が苦しみに変わる、それが資本主義なんだということですね。自分の働きが、支配する側の力を強めて自分を苦しめることになる…こんなことは歴史上、資本主義になって初めて起こったことです。(つづく)
第10回役員セミナー(3)
2011/11/07
くらし、雇用、いのち、震災復興…
いま本質を見抜く力を
──労働組合だからできること──(3)
槙野理啓(みちひろ)氏(関西勤労者教育協会講師)講演
“復旧ではなく復興を”本質は自己責任論
イデオロギー闘争ということ
現実から目を遠ざけさせ、社会への積極的な姿勢を後退させる「観念論的なものの見方」は、教育やマスコミを通して意図的に振りまかれています。唯物論を貫きにくいよう意図的に仕組まれているということですね。人々が現実に目を向けないよう、そして社会変革の機運が盛り上がらないよう、様々な手立てを尽くしています。支配している側は、手立てを尽くせる金も力も持ってるわけです。
その具体的な表れとしては、“競争してこそ成長する”──私たちの国ではこの10年間で一番大きい問題だと言ってもいいかもしれませんね。“自分の国は自分で守れ”とかね。そして、“がんばろう日本!”。それ自体は別に悪い話じゃないですけど、もう“がんばろう日本!”一色、“がんばろう日本!”ってステッカー貼ってる車いっぱい走ってるでしょう。パチンコ屋にも“がんばろう日本!”て書いてますね、なに頑張るんやと思いますけどね(笑)、あっちもこっちも“がんばろう日本!”で、“こんな時だから仕方がない”って思わされるわけです。テレビCMに出ているスポーツ選手なんか全然悪気ないと思うんですよ。まさにボランティア精神でもってエールを送ってるんだろうけど、支配する側はそれをうまく利用して“がんばろう日本!がんばろう日本!”“立ち上がろう!”“こんな時やからみんなで力合わせて!”“消費税も上げよう!”って話でしょ?(笑)、結局そういうふうにもっていかれるということですね。
“復旧ではなく復興を”って話もありますし、“労働組合は暗い弱い頼りない、もはや時代遅れ”とか、そういうことが振りまかれてるわけです。こうしたイデオロギー攻撃と対決していくことが、いま特に重要になっています。イデオロギー闘争、つまり考え方をめぐるたたかいというのは、ずっとあるんです。ただ、いまの日本の状況を見ると、それが特に重要な時代に入ったのではないかと思うわけです。
復興構想会議「復興への提言」
政府の復興構想会議が6月25日に「提言」を発表しました。その文章はこんな調子です…「破壊は前ぶれもなくやってきた。(中略)大地はゆれ、海はうねり、人々は逃げまどった。地震と津波との二段階にわたる波状攻撃の前に、この国の形状と景観は大きくゆがんだ。そして続けて第三の崩落がこの国を襲う。言うまでもない、原発事故だ。かくてこの国の『戦後』をずっと支えていた何かが音を立てて崩れ落ちた」…すごい文章でしょう?大げさな声で読みましたけど(笑)、こんな文章書かなあかんか?っていうことことですね。
問題は中身です。例えば農地や漁港を選択し集中する、大企業が儲けやすい形に変えましょうという話です。大企業が水産業に参入しやすいように水産特区、“震災だから仕方がない、ここだけ特別扱い”ということです。そして菅首相の時代に突然降って湧いたように出てきたTPP、完全貿易自由化ってやつですね、これをこの際通してしまおう、ということが、あんな調子で書かれています。
だけどいくら言葉を飾り立てても、本質は表れざるを得ません。むき出しでは表れないけど、垣間(かいま)見えるということです。問題意識をもって読めば、それを見抜くことができるということです。「提言」の結語には、こう書いてます…「復興が苦しいのもまた事実だ。耐え忍んでこそと思うものの、つい『公助』や『共助』に頼りがちの気持ちが生ずる」…公助、つまり国家からの援助ということですね。いまの被災地には絶対要(い)りますわ。それから共助、当事者同士の助け合い、これも必要でしょう。よく相談して漁港や街をどうやって復活させるか、当然大きな問題ですが、「頼りがちの気持ちが生ずる」という評価です。
しかも「恃(たの)むところは自分自身との『自助』の精神に立って、敢然として復興への道を歩むなかで『希望』の光が再び見えてくる」…本気で腹立ちますよ、読んだら。被災者に向かって、こんなふうに言うわけです。この言い方やったらわからんやろって見下してるわけですね。結局、“国は一切手助けしないから自分らで頑張れ”ってことですね。自己責任論を徹底したらここまでいくという話です。表に出てくるものを問題意識をもって読み取る必要があるということです。(つづく)
我々の奮闘で梅田知事・わたし市長実現を
2011/11/07
大阪労連民間部会の統一宣伝行動で「大阪を変えよう」とアピールするなかま(10月28日)
橋下氏の独裁・暴走ストップ!!
安心・安全、やさしさの大阪へ
都構想 狙いは大型開発推進
大阪府・橋下徹知事が辞任を表明し、11月27日に大阪市長選挙と大阪府知事選挙が同時に行われることになりました。「明るい民主大阪府政をつくる会」から大阪府知事選に出馬表明している梅田章二さん、「大阪市をよくする会」から大阪市長選に出馬表明をしている渡司(わたし)考一さんは「橋下氏の独裁・暴走を府・市民みんなの力で食い止めよう」と訴えています。
橋下氏は繰り返し「政治は独裁、教育は強制だ」と叫んでいます。いま大きな問題になっている教育基本条例案は、府知事が教育に介入し、教職員や子どもたちに特定の思想・考えを押しつけ、それに従わない教職員は首にしてしまうという、恐ろしい計画です。
また職員基本条例も、「自分が市長になったら課長以上は全員首だ」と発言したように、自分の考えに従わない職員は首にしてしまうという、まさに独裁者の考えそのものです。
条例案に対して、大阪弁護士会や日本ペンクラブ、大阪府教育委員会からも反対の声が上がっています。マスコミも「サンデー毎日」が「独裁首相への一里塚」という特集を組むなど、出版界でも橋下氏を批判する声が一斉に上がっています。
「維新の会」は、大阪府の財政を黒字にしたと宣伝していますが、実態は橋下知事になってから借金が2600億円も増え、総額6兆円を超えています。大型開発を続け、借金を増やしているのが現実です。
「大阪都構想」もその本質は、大阪市民の税収と財産を大阪都に吸い上げて、ムダな高速道路建設などにつぎ込もうというものです。しかも区政は充実するどころか、24区が8〜9区に統廃合され、地元の身近な区役所そのものがなくなってしまいます。
くらし守る政治が必要
梅田章二さんは、「二重行政を指摘する前に、大阪府・大阪市が進めてきたムダな大型開発こそなくすべき。府と市が力をあわせて命と財産を守り、庶民のふところと中小企業を温める政治が必要だ」と訴えています。
わたし考一さんも「くらし応援第一の大阪市政に転換したい」として、国保料の1人1万円の値下げや、中学校給食、住宅リフォーム助成制度など、くらしを守る緊急200億円プランを発表。また、東日本大震災の教訓に学んで、大阪から原発ゼロを発信し、住宅耐震補修予算を5倍に増やすなど、防災先進都市をめざす、と公約しています。